【明治安田生命J1リーグ25節 横浜F・マリノスvsガンバ大阪】7試合ぶりの敗戦と言えば聞こえは良いけども

2020年11月1日

三ッ沢の思ひ出

9月20日から開幕するラグビーワールドカップの影響で、
日産スタジアムが使用できなくなるため、
今節のガンバとマリノスの試合は三ッ沢球技場での開催。

日韓ワールドカップのために大金を叩いて建設した日産スタジアムだけど、
スタジアムとしての魅力は三ッ沢の足元にも及ばないから、
入場料を度外視してくれるのであれば、
個人的にこのカードはずっと三ッ沢での開催でも構わないのだけどね。

それにしても、ガンバが三ッ沢で試合するなんて久しぶり。

加地さんのパスミスから失点したことが思い出される、
2013年シーズンの横浜FC戦以来じゃないだろうか。

さらにマリノスとの試合という抽出条件が加わると2009年のナビスコカップ以来、
リーグ戦だと2007年以来になるのかな?

あまり記憶が確かでは無いけど、そんな記憶を遡って一つ言えることは、
意外とこのスタジアム、良い思い出が無い。

誰か偽ラテラルの攻略法を考えてくれ

名古屋や川崎、札幌など、Jリーグにもポゼッション志向のチームはいくつかあるけど、
マリノスのビルドアップのやり方は独特だ。

マンチェスターシティのグアルディオラが採用したことでも名高い、
両サイドバックが中央のスペースへ入ってくる、
偽ラテラルというやり方を本格採用しているJリーグのクラブはマリノスしかいない。

ただ、この布陣は必然的にボールロストするとサイドのスペースががら空きになるので、
ガンバとしては、ボールを持たれることは許容しつつ、
マイボールになった際はサイドのスペースを上手く攻略したいところ。

しかしながら、今のガンバの3バックの布陣では、
サイドプレーヤーは左右に1人ずつ(福田と小野瀬)しか置いていないので、
カウンターになった時にサイドの枚数が足りず、
攻撃のスピードが上がらない状態になっていた。

かと言って、ボールを持たれている状況で、
中央の枚数を削ってサイドの枚数を増やすのはリスクが高いので、
前半は守備重視で入るという宮本監督の選択は間違っていなかったと思う。

実際、この試合の前半のガンバは、アンカーに入った井手口を中心に、
粘り強く守れていたと思うのだけど、
それでも見事なミドルシュートから先制点を奪われてしまった。

しかも、ゴールを決めたのが左SBのティーラトンという状況が、
マリノスの戦術の特異さを物語っているように思えたね。

また、ティーラトンは、タイのブリーラムに所属していた時にも、
ACLの試合で東口からFKで2点奪っているので、
東口としてはまたしても天敵にやられた格好になってしまったね。

打ち合いに持ち込んで返り討ちを食らう

後半8分にマルコス・ジュニオールに追加点を許し、
2点ビハインドとなったところで、
宮本監督は、矢島と倉田に代えてパトリックと遠藤を投入し、
布陣を3-5-2から4-4-2へ変更。

マリノスのサイドのスペースを突くために、
リスクを許容して中央の枚数を減らし、サイドの枚数を増やしてきたね。

これが功を奏し、試合は一転、ガンバのペース。

小野瀬が個人で局面を打開して1点を返し、俄然反撃ムードが高まると、
パトリックがクロスをヘディングで叩き込み同点!!

と、思いきや、これがオフサイドの判定で取り消しに。

この判定に明らかに意気消沈したガンバの選手たちとサポーターを尻目に、
マリノスの遠藤渓太にとどめの3点目を食らってジ・エンド。

遠藤とパトリックが投入されてからしばらくは、
良いサッカーが出来ていたように思えるのだけど、
さすがにマリノス相手とまともに打ち合って勝てるほどの攻撃力は、
今のガンバには無いと思い知らされることになってしまったね。

敗戦と言う形でドロー沼を脱却

敗戦自体は7試合ぶりだけど、5試合連続ドローもあったりで、
前回の敗戦以降に積み上げた勝ち点はわずかに8。

また、今節は16位の鳥栖が仙台相手に勝利したことで、
入れ替え戦圏内と勝ち点1差になってしまった。

そして、次節の対戦相手はその鳥栖という巡り合わせ。

鳥栖とはホームでは割と相性が良いイメージはあるけど、
6試合勝ち無しの今のガンバの状況では、
絶対に大丈夫だと言い切れないのが悲しいところ。

この試合のマリノスが、荒れ果てたピッチの日産から、
美しいピッチの三ッ沢へ居を移したことで、
本来の自分たちのあるべき姿を取り戻したように、
ガンバもいっそのこと気分転換に万博で試合をやってみたらいいんじゃないだろうか。

まあ、そんな冗談はさておき、
J1残留のためにライバルは直接叩いておきたいところですな。

横浜F・マリノス31ガンバ大阪
’39 ティーラトン
’53 マルコス・ジュニオール
’67 小野瀬康介
’78 遠藤渓太